先日、ワイルドインベスターズ会員サイト専用投資レポート「DEEP INSIDE」に掲載しました、チュニジア革命についてのレポートをお届けします~
フランス・パリ在住の羽仁さんからののレポートです。
日本ではほとんど報道されなかったこの重要な出来事、フィクションの物語ですがよく描かれています。
題して「革命哀話 - 小さな国の健気な物語」(前半)です。
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革命哀話 -小さな国の健気な物語 - (前半)
羽仁 佳(はに けい)
世界の人達は、チュニジアと聞いて「ああ、北アフリカの一角にある、昔のカルタゴの国か」と云ってそれ以上に余り興味を示してくれないのではないでしょうか。ヨーロッパの人達はあそこは「バカンスにはもってこいの国だぜ!」などと云ってチュニジアと云えば太陽を求めての遊び休暇に出掛ける行き先国の一つと考えている程度でしょう。「比較的温和なムスリムの国らしいね?」と云うところが精一杯で、私達チュニジア人がどんな生活をしているか、強圧的政権下でどれだけ苦しんでいたかを知る人は少ないと思います。
そして、そんな国でどうしてまた革命などが勃発したのかよく解からないと云う人達も多いでしょう。でも、これから綴るいくつかの話を聞いて頂ければ、皆さんも少しはチュニジア、チュニジア人に対して理解を持って戴けるかも知れません。また、アラブ人といって最初から毛嫌い等する人も多いと聞きますが、そうだとすれば、それは私達のせいではなく、私達の社会を閉塞させている今の為政者たちのせいではないでしょうか?
<その1、悲話>
年の瀬も迫った12月。と云ってもヨーロッパの人々のクリスマスや仏教徒国の人々が過ごす年末年始の様な雰囲気はなく、イスラム教徒達にとっては取分け大きなイヴェントがあるわけでもない普通に近い月。それに冬と云ってもヨーロッパの人達から見れば殆ど毎日が春気候。砂漠が後ろに迫っていると云う国なので、草花が咲き誇るといったところではありませんが、それでもあちこちの庭にはジャスミンの白い花が咲き、ちょっとでも雨が降れば何とも言えないすがすがしい匂いを一面に放なって、重苦しい社会の空気の中で生活している人の心を一時的にでも慰めて呉れるのです。
そんな国、チュニジアの中心部にあって、取りたてて云う程の事も無く、一見平和そうなシディ・ブジッドという田舎町で、実に悲しく、人々の同情を誘って止まない事件が起こりました。それは一人の実直な青年モハメッド・ブアジジ君が焼身自殺したと云う出来事です。この話をしない事には革命の話ははじまりません。
彼は父親が早世した為に、母親と兄弟たちの面倒を見て行かねばなりませんでしたが、こんな田舎町では働きたくてもその口はなく、思い立って何度か大都会に行って職探しをしたものですが、若者の3人に一人が失業している様な国ですから、彼のように田舎から出て行ったものが簡単に仕事見つけられる筈もありません。さりとて、何はともあれ家族が食べて行かねばならない。当面彼が出来ることの一つとして選んだのが野菜・果物商人だったのです。商人と云ってもちゃんとした店を構えられる訳ではないのでせいぜいで数枚の板きれを合わせて作られたリアカーで動きまわる“路上商人”と云った方が手っ取り早いのです。野菜・果物の仕入れは朝早く町の市場に出掛けて買って来るか、時には自転車で近くの農家に行って仕入れる。農家は冬の時期でも納屋の灰土の中にジャガイモ等を蓄えたりしているので、粘って交渉すれば少しは分けて呉れこともあるのです。そんな風にして仕入れた野菜・果物を彼なりに利潤を計算しながら店頭に商品を並べる。実は、そんな“路上商人”は他にも大勢いるのですが。オレンジ・ミカンの類だけに“特化”しているのも、ザクロやデーツ(ナツメヤシ)だけを並べている者様々です。本当は、そんな彼等は商人としての販売許可証の取得手続きをせねばならないのですが、それには少し費用も掛るし、何より警察のお偉いさんにゴマを擦った上で“金一封”を袖下で渡さなければならない事の方が堪らないのです。
師走の月の17日、彼は例によって町の路上で野菜・果物を並べて商売していましたが、この日は運悪く警察に捕まってしまいました。
実は今まで何度か警察から警告を受けてはいたのですが、その都度なんとか言い訳して上手く逃れていました。けれども、この日の警察官はしつこく、結局並べていた野菜・果物をリアカーと共に取り上げて引き上げて行ってしまったのです。唖然としてしまった彼、暫くして我に戻ったところで警察に出向いて、没収された自分のリアカーと“商品”を返して呉れるように掛けあいました。でも、冷たく追い返されて諦めざるを得なかったのです。野良犬のように追い出された彼は、その屈辱感、そして腹の底から湧き上がって来る怒りを覚えながら、しばらく町をうろうろ歩きまわりました。彼の頭の中に幼い頃父親の肩車で見た町が幻想的に浮んで来ました。随分と綺麗な町であったような気がするが、父親の肩の上の高いところから見たのでそんな風に見えたのかも知れません。そんな父親も彼が未だ幼き頃に死んでしまったので、本当のところ父親の職業がなんであったのかよく知らないのです。母親の説明も曖昧なので余りしつこく聞かない事にしていました。ただ、父親も随分と苦労した為に早世したのだろうと思った途端急に涙が込み上げて止まらなくなったと云うのです。そのうちにどうしようもない絶望感に襲われ始めましたが、町の交差点に差し掛かかりガソリンスタンドが目にとまったところでハッとなりました。何時もと変わらない風景なのに、その日の彼は何故か吸い込まれる様にガソリンスタンドに入って、ガソリン缶買いその中にガソリン一杯を入れて貰ったのです。その後彼は自分でも驚くような早い足取りで警察署に赴き、最初
は署の建物にガソリンを撒いて火でもつけてやろうと思ったものですが、瞬間にそんなことをしたら家族の者達がどうなるかと云う心配から、ガソリンを一気に自分の体にふりかけポケットからライターを出したのです。
キリスト教でもそうだと思いますが、イスラムの教えでは、人間の命は神から授けられたものであり、それを自ら断つということがあってはならないとされております。自殺は誠に大きな罪なのです。しかし人々は、彼を罪人等とは非難せず、罪を敢えて犯す程、深刻かつ切羽詰まった状況に追い込まれていたのだとして、彼の自殺はかえって国中の人達の同情をかうことになったのです。
<その2、ラシッド君の友人宛メール>
「親愛なるアーベッド君、
僕等の感情が爆発したよ。僕等は立ち上がったよ!
3日前に焼身自殺したモハメッド君の事は君のいるチュニスにも伝わっているだろう。モハメッド君の焼身自殺の話を聞いて町の人達はその事情を質す為に大勢して警察に押しかけて行ったんだよ。そしたら署長のブタ野郎が出てきて、“モハメッド君は警察が何回も注意したのにも拘わらず、不法行為をやめなかった。だから彼が闇で手に入れ、闇で売っていたものを取り上げざるを得なかったのだ。彼が焼身自殺したのは、本人には気のどくだが警察としては何も手落ちはない。病院で出来る限りの手当てをしている“なんてぬかしあがるんだ。あのブタ野郎は”ひげ“(イスラム過激派に属している者)をたくさんパクって結構お上の覚えもよく、若くして出世している野郎なんだ。あんな奴が我々の町に来てから、ただでさえ重苦しい町の様子が、天井が鉛の屋根で覆われてしまったように真っ暗になった感じだよ。
でも僕等は勇気を出した。このメールもひょっとすると秘密警察によってチェックされているかもしれない。こんな小さな町でメール回線を持っている者はそんなに多くないからな。でも見つかってももう構わないよ。町の若者たちが立ちあがったのだ。年配の大人達は“モハメッド君の死を悼んでの行進”等と警察に説明しているが、みんな僕たちに味方しているんだよ。僕等の後ろからやれー!やれー!と勇気づけしてくれているんだ。女の子たちやおばさん達も外に出始めたよ。こうなったら徹底的にやるんだ。君と同じ俺もガフサ(南部の大きな地方都市)の大学出だが、就職にもありつけず、せっかく苦労して学費を出して呉れた親父や、何も言わずひたすら僕たち子供の世話をしてくれて来た母親にも申し訳ないよ。メールが余り長くなると目立つかも知れないので今日はこれで止めておくよ。元気でな!」
<その数日後のメール>
「親愛なるアーべッド君、
聞いたか、大変だよ、こちらは。ついに我々の中から犠牲者が出たんだよ。抗議運動がますます大きくなって行くものだから機動隊が出てきあがったよ。催涙弾を放っても我々が退かないものだから、ついに奴等は実弾をぶったんだ。仲間の一人が倒れた。俺もやられるかと思ったが、こうなったらもうなるようになれ!なんて思いながら催涙弾が飛ぶ中を涙を流しながら突っ込んだりしたよ。僕等の武器は石ころだよ、それに煉瓦のかけらとか棒きれだよ。こんなものは町にいくらでも転がっているからな。町の長老格か識者ぶった人達も、彼等の“賢者ぶり”を発揮せんとばかり我々をなだめようとしたり、警察との仲を取り持つようなことを言ってみたりしているが、彼等ももう手が付けられないという事が解かってきたようだ。それに何より心強いのは、我々の動きが全国に伝わり、各地で同じような抗議運動が高まってきたことだ。君のいるチュニスも人々は動きだすだろうよ。
<その3 アーベッド君のメール>
「君から最初にメールを貰った時は大いにびっくりしたよ。すぐ返事が書けなくすまん。実は余り勇気が無かったのだ。恥ずかしいョ。
でも僕も決断した。立ち上がることを決断した。僕の周りの女友達さえ心穏やかでない気持ちが高ぶって、街に繰り出すと云っているよ。
中には、きちんとした職業に就いている良家の友達も多いのだ。でも彼女等の友人らで職にありつけないものも多いので、そんな友人たちへの連帯だと云っているよ。見上げたもんだよ。僕も友人らを誘って街に出るよ。首都チュニスで僕たち若者が立ち上がれば、これは面白くなるよ。お互いに勇気を持とう。尤も君は既に勇気のある猛者となってしまっているようだがな」
****後半は次のブログで********
フランス・パリ在住の羽仁さんからののレポートです。
日本ではほとんど報道されなかったこの重要な出来事、フィクションの物語ですがよく描かれています。
題して「革命哀話 - 小さな国の健気な物語」(前半)です。
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革命哀話 -小さな国の健気な物語 - (前半)
羽仁 佳(はに けい)
世界の人達は、チュニジアと聞いて「ああ、北アフリカの一角にある、昔のカルタゴの国か」と云ってそれ以上に余り興味を示してくれないのではないでしょうか。ヨーロッパの人達はあそこは「バカンスにはもってこいの国だぜ!」などと云ってチュニジアと云えば太陽を求めての遊び休暇に出掛ける行き先国の一つと考えている程度でしょう。「比較的温和なムスリムの国らしいね?」と云うところが精一杯で、私達チュニジア人がどんな生活をしているか、強圧的政権下でどれだけ苦しんでいたかを知る人は少ないと思います。
そして、そんな国でどうしてまた革命などが勃発したのかよく解からないと云う人達も多いでしょう。でも、これから綴るいくつかの話を聞いて頂ければ、皆さんも少しはチュニジア、チュニジア人に対して理解を持って戴けるかも知れません。また、アラブ人といって最初から毛嫌い等する人も多いと聞きますが、そうだとすれば、それは私達のせいではなく、私達の社会を閉塞させている今の為政者たちのせいではないでしょうか?
<その1、悲話>
年の瀬も迫った12月。と云ってもヨーロッパの人々のクリスマスや仏教徒国の人々が過ごす年末年始の様な雰囲気はなく、イスラム教徒達にとっては取分け大きなイヴェントがあるわけでもない普通に近い月。それに冬と云ってもヨーロッパの人達から見れば殆ど毎日が春気候。砂漠が後ろに迫っていると云う国なので、草花が咲き誇るといったところではありませんが、それでもあちこちの庭にはジャスミンの白い花が咲き、ちょっとでも雨が降れば何とも言えないすがすがしい匂いを一面に放なって、重苦しい社会の空気の中で生活している人の心を一時的にでも慰めて呉れるのです。
そんな国、チュニジアの中心部にあって、取りたてて云う程の事も無く、一見平和そうなシディ・ブジッドという田舎町で、実に悲しく、人々の同情を誘って止まない事件が起こりました。それは一人の実直な青年モハメッド・ブアジジ君が焼身自殺したと云う出来事です。この話をしない事には革命の話ははじまりません。
彼は父親が早世した為に、母親と兄弟たちの面倒を見て行かねばなりませんでしたが、こんな田舎町では働きたくてもその口はなく、思い立って何度か大都会に行って職探しをしたものですが、若者の3人に一人が失業している様な国ですから、彼のように田舎から出て行ったものが簡単に仕事見つけられる筈もありません。さりとて、何はともあれ家族が食べて行かねばならない。当面彼が出来ることの一つとして選んだのが野菜・果物商人だったのです。商人と云ってもちゃんとした店を構えられる訳ではないのでせいぜいで数枚の板きれを合わせて作られたリアカーで動きまわる“路上商人”と云った方が手っ取り早いのです。野菜・果物の仕入れは朝早く町の市場に出掛けて買って来るか、時には自転車で近くの農家に行って仕入れる。農家は冬の時期でも納屋の灰土の中にジャガイモ等を蓄えたりしているので、粘って交渉すれば少しは分けて呉れこともあるのです。そんな風にして仕入れた野菜・果物を彼なりに利潤を計算しながら店頭に商品を並べる。実は、そんな“路上商人”は他にも大勢いるのですが。オレンジ・ミカンの類だけに“特化”しているのも、ザクロやデーツ(ナツメヤシ)だけを並べている者様々です。本当は、そんな彼等は商人としての販売許可証の取得手続きをせねばならないのですが、それには少し費用も掛るし、何より警察のお偉いさんにゴマを擦った上で“金一封”を袖下で渡さなければならない事の方が堪らないのです。
師走の月の17日、彼は例によって町の路上で野菜・果物を並べて商売していましたが、この日は運悪く警察に捕まってしまいました。
実は今まで何度か警察から警告を受けてはいたのですが、その都度なんとか言い訳して上手く逃れていました。けれども、この日の警察官はしつこく、結局並べていた野菜・果物をリアカーと共に取り上げて引き上げて行ってしまったのです。唖然としてしまった彼、暫くして我に戻ったところで警察に出向いて、没収された自分のリアカーと“商品”を返して呉れるように掛けあいました。でも、冷たく追い返されて諦めざるを得なかったのです。野良犬のように追い出された彼は、その屈辱感、そして腹の底から湧き上がって来る怒りを覚えながら、しばらく町をうろうろ歩きまわりました。彼の頭の中に幼い頃父親の肩車で見た町が幻想的に浮んで来ました。随分と綺麗な町であったような気がするが、父親の肩の上の高いところから見たのでそんな風に見えたのかも知れません。そんな父親も彼が未だ幼き頃に死んでしまったので、本当のところ父親の職業がなんであったのかよく知らないのです。母親の説明も曖昧なので余りしつこく聞かない事にしていました。ただ、父親も随分と苦労した為に早世したのだろうと思った途端急に涙が込み上げて止まらなくなったと云うのです。そのうちにどうしようもない絶望感に襲われ始めましたが、町の交差点に差し掛かかりガソリンスタンドが目にとまったところでハッとなりました。何時もと変わらない風景なのに、その日の彼は何故か吸い込まれる様にガソリンスタンドに入って、ガソリン缶買いその中にガソリン一杯を入れて貰ったのです。その後彼は自分でも驚くような早い足取りで警察署に赴き、最初
は署の建物にガソリンを撒いて火でもつけてやろうと思ったものですが、瞬間にそんなことをしたら家族の者達がどうなるかと云う心配から、ガソリンを一気に自分の体にふりかけポケットからライターを出したのです。
キリスト教でもそうだと思いますが、イスラムの教えでは、人間の命は神から授けられたものであり、それを自ら断つということがあってはならないとされております。自殺は誠に大きな罪なのです。しかし人々は、彼を罪人等とは非難せず、罪を敢えて犯す程、深刻かつ切羽詰まった状況に追い込まれていたのだとして、彼の自殺はかえって国中の人達の同情をかうことになったのです。
<その2、ラシッド君の友人宛メール>
「親愛なるアーベッド君、
僕等の感情が爆発したよ。僕等は立ち上がったよ!
3日前に焼身自殺したモハメッド君の事は君のいるチュニスにも伝わっているだろう。モハメッド君の焼身自殺の話を聞いて町の人達はその事情を質す為に大勢して警察に押しかけて行ったんだよ。そしたら署長のブタ野郎が出てきて、“モハメッド君は警察が何回も注意したのにも拘わらず、不法行為をやめなかった。だから彼が闇で手に入れ、闇で売っていたものを取り上げざるを得なかったのだ。彼が焼身自殺したのは、本人には気のどくだが警察としては何も手落ちはない。病院で出来る限りの手当てをしている“なんてぬかしあがるんだ。あのブタ野郎は”ひげ“(イスラム過激派に属している者)をたくさんパクって結構お上の覚えもよく、若くして出世している野郎なんだ。あんな奴が我々の町に来てから、ただでさえ重苦しい町の様子が、天井が鉛の屋根で覆われてしまったように真っ暗になった感じだよ。
でも僕等は勇気を出した。このメールもひょっとすると秘密警察によってチェックされているかもしれない。こんな小さな町でメール回線を持っている者はそんなに多くないからな。でも見つかってももう構わないよ。町の若者たちが立ちあがったのだ。年配の大人達は“モハメッド君の死を悼んでの行進”等と警察に説明しているが、みんな僕たちに味方しているんだよ。僕等の後ろからやれー!やれー!と勇気づけしてくれているんだ。女の子たちやおばさん達も外に出始めたよ。こうなったら徹底的にやるんだ。君と同じ俺もガフサ(南部の大きな地方都市)の大学出だが、就職にもありつけず、せっかく苦労して学費を出して呉れた親父や、何も言わずひたすら僕たち子供の世話をしてくれて来た母親にも申し訳ないよ。メールが余り長くなると目立つかも知れないので今日はこれで止めておくよ。元気でな!」
<その数日後のメール>
「親愛なるアーべッド君、
聞いたか、大変だよ、こちらは。ついに我々の中から犠牲者が出たんだよ。抗議運動がますます大きくなって行くものだから機動隊が出てきあがったよ。催涙弾を放っても我々が退かないものだから、ついに奴等は実弾をぶったんだ。仲間の一人が倒れた。俺もやられるかと思ったが、こうなったらもうなるようになれ!なんて思いながら催涙弾が飛ぶ中を涙を流しながら突っ込んだりしたよ。僕等の武器は石ころだよ、それに煉瓦のかけらとか棒きれだよ。こんなものは町にいくらでも転がっているからな。町の長老格か識者ぶった人達も、彼等の“賢者ぶり”を発揮せんとばかり我々をなだめようとしたり、警察との仲を取り持つようなことを言ってみたりしているが、彼等ももう手が付けられないという事が解かってきたようだ。それに何より心強いのは、我々の動きが全国に伝わり、各地で同じような抗議運動が高まってきたことだ。君のいるチュニスも人々は動きだすだろうよ。
<その3 アーベッド君のメール>
「君から最初にメールを貰った時は大いにびっくりしたよ。すぐ返事が書けなくすまん。実は余り勇気が無かったのだ。恥ずかしいョ。
でも僕も決断した。立ち上がることを決断した。僕の周りの女友達さえ心穏やかでない気持ちが高ぶって、街に繰り出すと云っているよ。
中には、きちんとした職業に就いている良家の友達も多いのだ。でも彼女等の友人らで職にありつけないものも多いので、そんな友人たちへの連帯だと云っているよ。見上げたもんだよ。僕も友人らを誘って街に出るよ。首都チュニスで僕たち若者が立ち上がれば、これは面白くなるよ。お互いに勇気を持とう。尤も君は既に勇気のある猛者となってしまっているようだがな」
****後半は次のブログで********














